短編を書きました(^^ゞ~後編
後編
5
病院へ着いた。
病院は知っていた。7年前に来たことがある。
病室は変わっているはずだ。
昨夜彼女の母親から電話をもらったとき病室の部屋番号も聞いていた。
305号。
エレベーターを降り病室の番号を確かめノックをする。
このときをどれだけ待ち焦がれていたか。7年間は長かった。
木本加奈はこの7年ずっと眠っていた。
事故以来、意識が戻らなかった。
傷の方は、不思議なもので回復していくのに意識が戻らない。
加奈の母親から聞いた話では意識はとうに戻ってもいい状態だと担当医は言っているという。
だが何故か戻らない。これだけは医学の力でも無理なようだ。
陽子が待った時間より、家族が待った時間の方がはるかに長かっただろう。
母親の疲れが… 7年間の疲れが一度に出たような重い口調の電話、7年間の蓄積… いろいろな想い。
これほどの気持ちのこもった内容の電話に遭遇したことはなかった。
話した時間はたかだか1~2分だったろう。
人間は計り知れない… 陽子は思った。まだまだ、自分には分らない事がきっとたくさんある。
ドアの向こうから、加奈の母親の声が聞こえた。
「どうぞ」
静かにノブを回し、ドアを開けた。
「あ、陽子さん。いらっしゃい。今、加奈はちょっと寝ていますが、どうぞ。」
「寝ていらっしゃるのですか? それじゃ、出直してまいります」
「気にしないでお入りください。今度はすぐ起きますから… ね。」
母親はやさしい笑顔を陽子に向けてくれた。
「それじゃ、おじゃまします。」
陽子はおそるおそる中へ入っていった。
「あ、お電話ありがとうございました。」
母親に勧められた備え付けの椅子に腰を下ろした。
「いえいえ。あなたもずっと待っていたのだものね。当然ですよ。」
「でも、7年前の約束覚えていていただいて… 本当にありがとうございます。」
「いえいえそんなこと気になさらないで。ちょっと病院の先生とお話があるので、少し加奈を見ててくれますか?」
そういって母親は病室を出て行った。もしかしたら、気を利かせてくれたのかな?
陽子はふとそんな気がした。
7年前、陽子は陽子の母と一緒に加奈のお見舞いをした。
そのとき、陽子は加奈の母親に父のメモの話をした。
「加奈さん、加奈さんなら聞いているかもしれない。父の最期の言葉を。お願い目を覚まして… 教えて、お願い。」
父の葬儀を済ませて、心を落ち着かせたはずなのに、病室で寝ている加奈を見たとき、
陽子は少々取り乱してしまった。そのとき、加奈の母は
「ごめんなさい。陽子さん。でも約束する。加奈の意識が戻ったとき、加奈が目覚めたときは、
一番にあなたに連絡します。ね、陽子さん。待っていて、必ず連絡するから。」
陽子はあのときの自分を思い出すと少々自己嫌悪に陥る。
一番、加奈の意識が戻らないことを心配して悲しんで、納得がいかない人にそんな気を使った言葉を言わせてしまった。
自分が恥かしい。
でも、あのときの自分は必死だった。
今も、そうだ。
何故、自分に言葉を残してくれなかったのか…
母の康子は元来、マイペースの人だ。父がいなくなって最初はひどく落ち込んでいた。
が、一度父のいない生活が始まると立ち直りも早かった。
(何て切り替えが早い人なんだろう。)
陽子は改めて関心というより、半ばあきれた。
母の母親としての強さ、女としてのしたたかさを垣間見たような気がした。
自分はそこまでは割り切れない。
割り切れないことが、母の人生の半分しかまだ生きていない人間としての未熟さなのか、妻になり母親になった経験がないからなのか、陽子には分らなかったが、とにかく母親の心配をしなくてすんだことに安堵したのも事実だ。
父の死の当初は、もしかしたら母はこのままだめになってしまうかも知れないと思うほどひどい落ち込みかただった。
弟は立ち直った。
父の言葉「強くなれ。そして母さんや姉さんを支えてやってくれ。」
父親として男として、死に際のこの最後の力を振り絞ったかのようなメッセージには弟なりに何か感じたのだろう。
弟は父親の死以来、人が変わったかのように強くなった。
言葉には出さないが、あきらかに母親と姉を助けてやろうという態度が現れた。
一緒に買い物をしたときに今までは重い荷物を自分から持つなど絶対しない弟が、
「ねえちゃん、それかしな。」
ぶっきらぼうに少々照れたように手を差し出して荷物を持ってくれる。
何だか男としての頼もしさも少し出てきた気がする。
最近は特にそうだ。
素行の悪い仲間とはとうに縁を切っている。
結構もめたらしい。
しかし、顔に傷を負って帰ってきたときも、泣き言ひとつ言わなかった。
その仲間からの連絡も入らなくなった。
逆に良い感じの友達は増えていった。
今では弟の友達には、もう少し年が近かったら… と本気で思うような男の子もいる。
さすがに6つも年が離れていると気が引けるが。
父の死以来、みんな変わった。自分以外。
陽子は思う。また、取り残された。
いつも、そうだ。また、疎外感を感じなければいけないのか。
父親の生きているとき感じていた、何となくの疎外感… 死んでからも同じだ。
自分は何なのだろう。
6
「陽子ちゃん… ?」
加奈が小さい声を陽子にかけた。少々疲れた感じはするが加奈の顔色は思ったより良いようだ。
「加奈さん。こんにちわ。あの、良かったですね。意識が戻られて…というか…元気になられて 」
陽子はどんな言葉をかけていいのか分らなかった。言葉もしどろもどろだ。
「気を使わなくていいのよ。7年も私、寝てたんだってね。驚いちゃった。陽子ちゃんは今何しているの?」
「私も変わったでしょう? OLです。何ということはない電機メーカーの事務です。」
「最後に会ったの、あれから7年たっちゃってるんだよね。私は陽子ちゃん、雑誌の仕事するのかと思ってた。」
陽子は父親の影響からか、中学の頃から雑誌の編集などに興味を持っていた。
仕事で自宅に加奈を連れて打ち合わせをするときには陽子は決まってお茶を出すなど加奈の周りに付きまとっていた。
加奈から雑誌の話を聞くのが楽しみだった。
父親から「仕事中だから向こうへ行ってなさい。」
と何度言われてもすぐいついてしまう。加奈にはそのたび救われた。
「いいじゃない。別に邪魔になっているわけじゃないんだから。ねえ、陽子ちゃんおとなしくしてるもんね?」
「はい。じっとしています。お地蔵さんみたいに。」
父親のあきれた顔を何度も見た。加奈もそんな陽子をかわいく思っているようだった。
「私も、ずっと雑誌の編集に憧れてた。でも、私には無理かな。こんな難しい仕事は。」
「そんなことないわよ。難しいからおもしろいんだよ。私はこの仕事に誇りを持っている。」
「そうですよね。加奈さん、かっこいいもん。」
「かっこいい? そんなこと言われたことないなあ。」
陽子は父親に影響を受けて雑誌の編集に興味を持ちだしたのだが、途中から加奈に憧れていたような気がする。
加奈の生き方。加奈の存在は陽子にとっては大きかったと思う。
多分、父親が生きていたら、いずれは編集の方へ行っていたに違いない。
「陽子ちゃん。」
加奈の表情がちょっとこわばった。
「何ですか?」
「私ね、陽子ちゃんに話さなければいけないことがあるの。」
「はい、どんなことでしょう。」
「実はね。お父さんのことだけど。元彦さんが亡くなったときにね、陽子ちゃんに伝えてほしいと頼まれていた言葉があるの。」
陽子はぎくりとした。
どうやって、そのことを切り出そうかと思っていたところだ。
「メモを書いていたの、元彦さん。奥さんやあなたや祐介君あての。」
加奈は父親のことを名前で呼んでいた。普通は苗字で呼ぶのだろうが、加奈が名前で呼ぶのは何故か違和感が無かった。
誤解されるといけないので、さすがに人前では避けていたようだが、陽子の前では普通のことだった。
「はい、知っています。だけど、全部書ききれなかったみたいで… 」
「そう、奥さんや祐介君にはすらすら書いていたわ。でも、あなたあてに書こうとすると手が止まったみたい。」
「時間が無かったんじゃないんですか?」
「時間はあったと思う。私も必死だったけれど、書く時間は何とかあったと思う。でも、」
「でも?」
「あなたには書くことが多すぎて、というか、迷っていたみたいね。」
「迷っていた?」
「うん、聞いたそのままの言葉を伝えようと思ってたんだ。」 「はい。」
「でも、その前にちょっと、私の告白聞いてくれるかな? もったいぶるわけじゃないんだけどさ。」
「告白? 何だろう? いいですよ。私でよければ。」
「あなたに聞いてほしいの、あなただから、聞いてほしいの。実はね。私元彦さん好きだったの。」
「え?」陽子は言葉に窮した。
「あなたのお父さん好きだったの。人間として男性として。でも、誤解しないでね。何にもなかったわ。」
陽子は何故そんなことを。たとえそうであったとしても何故今になってそんなことを打ち明ける?加奈の気持ちが理解できなかった。もしかしたら、事故の後遺症かなにかで、まだ錯乱状態にあるのか?
そうだとしたら、このまま聞いてあげることが落ち着かせることになるのかもしれない。
陽子はとりあえずおとなしく聞くことにした。
「元彦さんは潔癖な人だった。本当言うとね、結構本気で誘惑したこともあるのよ。でも、元彦さんは絶対、仕事の関係から深入りはしなかった。私はそれでも、一緒に仕事が出来るだけでも幸せだった。」
加奈は淡々と話を続けた。
「あの事故の時ね。本当は私も死んでいるはずだった。元彦さんが私をかばってくれたの。」
「父がかばって? でも、そんなこと飛行機の墜落で人を助けられるはずが…」
「私は怖くて怖くて、震えていた。そうしたら、元彦さんが肩を抱いてくれたの。結果的に落ちたとき私に覆いかぶさるようになったから、私に当たるはずの機体の破片を元彦さんが代わりに… 」
淡々と話していたのは冷静さを保とうとした加奈の精神力の強さだった。
そこまで話をして、力尽きたように頬に涙が伝った。
「元彦さんは、あなたに言葉を伝えてくれと言って… 私の代わりに… 。」
「でも、それは加奈さんの責任じゃないわ。それに、そんなこと関係なく墜落したのよ、生きていることじたいが奇跡じゃないですか。加奈さん。自分を苦しめないでください。」
精神的に錯乱しているのでも、事故の後遺症なんかでもなかった。
陽子は加奈の苦しみが分るような気がした。
「元彦さんはね。私に”君は生きろ、命があるうちは、精一杯生きろ”って… 私にはそれが最後の言葉ね。実はね、陽子ちゃん、この7年間、私は元彦さんと一緒だったのよ。」
「父と一緒? どういうことですか?」
「夢… もしかしたら夢かもしれないけれど… 私は元彦さんと一緒に行きたかった。」
「それは、死にたかった… ということですか?」
「そう、飛行機が墜落したとき、まさか自分だけ助かるとは思っていなかった。いつ、あなたへのメッセージを聞いたか、実は覚えていないの。夢の中で元彦さんと何度も話をしたときに言っていた言葉だから。」
「墜落したときに聞いていたのではないんですか?」
「墜落したときの記憶はないわ。あのときの記憶は元彦さんが私をかばってくれたということだけ。
きれいなお花畑に、広いお花畑… いつも天気も良かった。そこに元彦さんがいたの。それから、いろいろ話をしたわ。
最後に自分はもう行かなければならないけれど、私には生きて、自分の分まで生きて、そしてこの言葉を陽子ちゃんに言ってほしいと言って… 行ってしまった。私も連れて行ってと言ってお願いしたけれど。ついてくるなって… 初めてかな、本気で怒られたの。生きろって、命がある限りは… 」
陽子には分らなかった。本当の話なのか… それでも加奈の言葉は素直に信じることが出来た。
嘘を言う人ではない。物事の善悪、大事なこと、やさしさ、厳しさ… それを知っている人だ。
「信じてくれなくてもいいのよ。」
「ううん、信じます。加奈さんは嘘をつく人じゃないし、そんな理由もないです。」
「そう、ありがとう。それじゃ、元彦さんから頼まれたそのままの言葉で言うね。」
「はい。お願いします。」
陽子は心の背筋を伸ばした。
「元彦さんは、あなたのお父さんはこう言っていた。”陽子、ごめん。いつも、いつも最後になって”」
「―そんな… こと」
陽子はちょっと絶句した。父さんが最後の言葉に選んだのはそのこと?
それは、いつも私が感じていたことだけれど、最後にあやまられたって…
陽子は少しくやしかった。何故かやりきれない気持ちがあった。
7年間待ったのは… そんな言葉がほしかったわけじゃない。
それではどんな言葉を望んでいたのか?
陽子は分らなくなった。私は… 私は、けっして父を嫌ってはいなかった。
世間で同じ年頃の女の子が父親と一緒に歩きたがらないとか言っているのも陽子には分らなかった。
うっとうしそうに父親の話をすることも実は理解出来なかった。
父さん… 私は何を望んでいたの?
むしろ好きであった父親にあやまってほしいわけではなかった。
父を責めたことはない。
陽子は本当にこの場になって分らなくなっている自分を発見した。
最後に父親が何を言いたかったのか、いろいろ想像したのではなかったのか。
自分にとっての父の存在をあれほど考えたのではなかったのか?
そうだ。陽子は、思い当たった。ただ、自分を見てほしかった。それだけなのだ。
「それだけ… それだけですか? お父さんが言っていたのは?」
「ううん、その後、言葉を選ぶように、”父さんは、お前を一番愛している。これだけは忘れないでくれ。世界中で一番愛している。いつかこれだけは言いたかった。”って。」
その瞬間、陽子の何かが溶けて崩れ落ちた。涙が止まらなかった。
時間も一瞬止まったような気がした。
陽子の涙は自然にあふれた。誰も止めることは出来ない。とめる必要もない。
そして、その言葉は陽子のもの。陽子の心の中にしまわれるだろう。これからずっと。
「陽子ちゃん、このメッセージを伝えたくて私は戻って来たの。でもね、私も生きるね。精一杯。」
加奈のやつれた顔の中には決意を秘めた瞳が輝いていた。
また、会おうね。 そんな約束をして、陽子は病室を出た。
(口に出しては言えないセリフだよね…)
陽子は久しぶりにさわやかな天気を感じた。
(でも、待たせ過ぎよ。7年間は長かったわ。お父さん。)
~ending
外は本当に雲ひとつ無い秋晴れだった。
陽子は長いこれからの人生を、展望した。しかし、先の長い人生に対しての不安は無かった。
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